今年は雪が降らない。
暖冬、らしい。
「暖かいという字を使ってるくせに、うすら寒いとはいい度胸だ」
ねぐらにしている洞窟の中、シェゾは鼻水をすすって、据わった目を閉じる。
この季節は大体こうだ。
風が当たらないだけマシではあるが、いい加減ちゃんとした建物にねぐらを構えるべきかもしれない。
粗末な寝床にごろりと寝転がり、羽織ったマントで自分を覆うと普通にしているよりは暖かい。
それでも鼻水は止まらないので、ぐすんと鼻が鳴った。
暖冬。
─そういえば妙に頭がふわふわしているような気がする。
もしかしたら微熱か、下手をすると蓄膿症を起こしているかもしれない。
だが、自分で動く気にはなれず、シェゾはそのまま硬い床をゴロゴロと転がっていた。
日が暮れるまではまだ時間があるのだが、かといって何かやることがあるわけでもない。
やることがあったとしても、このような体調不良の中自分がそれをやっただろうかと思えば、まずありえなかった。
とりあえず、だるい。
だるいので眠気に任せて眠ることにした。
「…おーい、シェゾ?」
眠ることにしたのに、ねぐらの入り口からシェゾに呼びかける声が一つ。
のろのろと顔を上げると、口元を白いマスクで覆った黒い髪の青年が一人立っていた。
「…なんか用か?」
「多分、君も風引いてるんじゃないかと思ったんだけど。…そっちに行っていいかい」
「どうせお前のこった。来んなって言ったって来るんだろーが」
それなりに知れた仲だ。わざわざ起き上がって出迎えることもないと、シェゾは再び重力に任せて寝転がる。
青年─ラグナスは、まぁねと笑った声で応えてねぐらに足を踏み入れた。
手には、何か色々なものが入ったカゴがある。差し入れだろうか。
視線だけでそれを追っていると、ラグナスがそれに気がついて目元を笑わせた。
「…玉子酒と、あとリンゴ。同病相哀れむってことで、俺からの差し入れだよ」
「お前も風邪か」
「うん…。ちょうど仕事が入ってなくて助かったよ」
差し入れがあるなら話は別だ、とシェゾはだるい身体を起こしてそれを受け取った。
摩り下ろしたリンゴが食べたいので、調理器具を置いたところからおろし金を探す。
「ん?何?おろし金?」
「ん…」
「俺が探すよ、君は寝てたら?」
「…じゃあ、ついでに摩り下ろせ」
「ハイハイ」
すると、ラグナスが横からするりと手を伸ばしてシェゾと入れ替わりに探索を始めた。
近くによって気がついたが、ラグナスの声が少々嗄れている。
「お前、咽喉キてるだろ。声変だぞ」
「うっそ、そんなに酷いかな?」
「ひでぇよ。お前こそ家で寝てればいいじゃねぇか」
クックと咽喉を鳴らして笑い、シェゾは仰向けに寝転がった。そして、おろし金を探すラグナスの背中を見つつ、大きなあくびを零す。
別に呼んでもいないのに、わざわざ足を運んでくる男は一体何が楽しいのだろうか。
特に見返りを求めるわけでもなし、恩着せがましい訳でもなし。
─まあ別に悪いことはないので、巡る思考をそこで断ち切った。
「…食ったら寝る…」
そうつぶやいてマントを布団代わりに引っ張ると、ラグナスがきょとんとして振り返った。
その手にはやっと見つけたらしいおろし金と、スプーンと皿が握られている。
「俺がいるのに?」
「風邪引きの男相手に話してたって仕方ねーだろーが。お前もリンゴ擦ったら帰れ」
「何、それ。心配してくれてるのか?」
「これ以上風邪菌うつされたくないんだよ。お前だって俺から風邪うつされたら死ぬぞ」
だるいことはだるいのだが、話していると気分は楽だった。
それが、擦られたリンゴを心待ちにしているせいなのかはいまいちよく解らないが。
シェゾのセリフにクスクスと小さな声で笑い始めるラグナスに、早くよこせと軽く蹴りを入れた。
コトン、とおざなりに置かれている机が鳴る音で、シェゾは目を開けた。
どうやらうっかり眠っていたらしい。
視線を巡らせると、ちょうどリンゴが擦り終わったのかシェゾを見やったラグナスと目が合う。
特にいうこともなく、黙っているとラグナスが微笑んだ。
「じゃ、俺も家に帰って寝るよ」
「おぅ」
「シェゾ」
「あん?」
「ありがとう。は?」
「はァ?」
ほこりを立てぬようにかゆっくり立ち上がったラグナスは、中腰でシェゾの顔を覗く。
「ありがとう。」
「…ありがとよ」
言わない理由もない。が、普通そういうのは強要するものじゃないだろうと眉をしかめた。
だが、ラグナスが満足そうに笑ったので、まあいいかと溜息を零す。
「じゃあまたね」
フラフラとシェゾのねぐらを出て行く彼を見送りつつ身体を起こして机を見ると、ご丁寧にも、摩り下ろしたリンゴは綺麗な皿にうつされていて、スプーンが添えられていた。
「…─おい!」
シェゾは今自分が出せるだけの大声でラグナスを呼び止めた。
咽喉はやられていないらしい。結構な大声が出て、呼び止められた男が大げさに身体をびくつかせた。
「持ってけ」
振り返るのをみて、寝床から立ち上がったシェゾはあるものを手にして、ラグナスにそれを投げる。
「な、にィッ!?」
べちんっという痛そうな音がした。
放り投げる、というよりもまさに投げつけるといった動作がしっくりくるようなものだったので、ラグナスはそれを顔面で受け取ったのだ。
「な、なんだよ。何するんだ」
驚いた拍子にか、こんこんと咳をしながら顔にたたきつけられたものを手にし、ラグナスが珍しくむッとしたような顔をする。
「やる。持ってけ」
「やるって…、…これネギ?」
「焼いたネギはな、手ぬぐいで巻いて首に巻くと咽喉にいいんだよ」
「…胡散臭っ」
「知恵袋馬鹿にすんな」
折れたネギを手にした相手に、シェゾは腕を組んで言った。
すると、相手は暫くネギを見つめて、もう一度シェゾを見る。
「お礼?」
「…。まーな」
ラグナスは、それでやっとネギの意味を得心したらくしなるほどと頷いて目元を緩くした。
「ありがとう」
「ドウイタシマシテ」
ふらふらと帰っていったラグナスを見送り、シェゾは自分もおぼつかない足取りで再び洞窟の中に戻ると、机の前にどっかりと胡坐をかく。
熱は下がったのか、浮かれたような感覚は消えていた。
蓄膿症ではなかったようでひとまず安心しながら、擦りリンゴを掬い口に含む。
完食する頃には大分体が楽になったが、シェゾはそれでも再び寝床へ転がった。
暖冬といいつつも、その日もやはり寒かった。
シェゾは、その日から天気予報の類を信用するのをやめた。
END
あとがき>ほのぼのというかほのぼのというか…(うがが)
アチャーな感じですがががorz
PCUP=2007/05/03
モドル