「『それ』……。何?」
まずい、と思った。
目の前の男が、相変わらず柔らかい笑みで問うてくるのに。
「き、気のせいだろ?何か見えるか?」
必死で誤魔化そうとするシェゾに─ラグナスはもう一度繰り返した。
「…頭の上に乗ってる『それ』は、何?シェゾ」
「……」
びしっと、指差された場所…シェゾの頭の上には、主人以外の人間を見て、興味深げに尻尾を振っているちびがいた。
偶然作ってしまった犬耳尻尾の掌ラグナスに『ちび』と名づけて早一週間過ぎている。
起きている間中飽きもせずに歩行訓練兼シェゾの家中で大冒険をしていたちびは、今やその努力もあってしっかりとした足取りで歩くことができるようになった。
しかしながらそれは、ちびに『家の中』という閉ざされた空間に不満を抱かせる結果となっていた。
もともと好奇心が旺盛らしいこの使い魔は、最近目を離すとすぐに外に出ようとしているのだ。
それを発見するなりシェゾは慌てて捕まえ、人に見られていないかと胃を痛くした。
だが、それが何回も続けば流石のちびも拗ねる。
「おい」
『…』
「コラ」
『…』
「……ちび」
『…』
寝床であるカゴの中、タオルに埋もれてシェゾに背を向けたちびに、シェゾはやれやれと溜息を吐いた。
昨日からずっとこの調子で、呼びかけにも応じようとしない。
使い魔の癖に主人の呼びかけを無視するとは、とシェゾは微かに呆れてカゴを覗いた。
頬を膨らませて、そっぽを向いている。
「ちび」
『……』
犬耳がぴく、と反応するがちび自身がこちらを向かない。
いつもなら、尻尾を千切れんばかりに振って喜びながら飛びついてくるのに。
「しょうがない奴だな…」
(どうしてこう頑固なところだけヤツに似てるんだ)、と溜息を吐いたところでふと思い当たる。
ちびは、ラグナスの形をしているとはいえ元々は『犬』をイメージして作ったのだ。
いくら主人に忠実な『犬』でも、ずっと室内に閉じ込められていればストレスも溜まるだろう。
ましてや、シェゾはちびに主人として何かさせたことが無い。
…いや、まあ、一応『愛玩動物』として癒してもらってはいるのだが。
「…散歩にでも行くか」
─そこで、ある一計を思いつき、ぽつりと零すとちらりとちびがこちらを向いた。
予想通りだ。
シェゾは更に続ける。
「久々に、少し遠出もいいかも知れんな」
『…』
ゆっくりとちびが起き上がる。
その耳が、ぴくぴくと期待しているように言葉を聞き取っていた。
「…行くか?」
一応訊ねると、ちびは盛大に尻尾を振って頷き、シェゾの胸元に飛びついた。
しかし勿論、シェゾとしてはちびを人に見られることは避けたい。
故に、ちびの周りだけ空間を歪ませ、所謂『目隠し』の術を施した。
これならちびから見る光景は変わりなくとも、シェゾ以外の人間にちびの姿を見ることは出来ない。
「じゃあ行くぞ」
『ぴゃ』
短く、鳴き声で返事をするちびを、最近のお気に入りらしい頭の上に乗せた状態で、シェゾは久方ぶりの散歩へ出かけた。
そして運良くか運悪くか─同じく久方ぶりに魔物退治から帰還したラグナスとばったり出会った。
『よりにもよって何でこいつなんだ』とシェゾが苦い顔をしながら、それでも何気なさを装って挨拶しようとしたところに─
「…シェゾ。俺の目が可笑しくなければ…君の頭の上に何かいるよね?」
…と、ラグナスは恐ろしいほどの爽やかな笑顔で、開口一番そう言ったのだった。
そして、冒頭の会話へ戻る。
『……』
妙な沈黙が、ラグナスとシェゾの間に流れていた。
ラグナスは真っ直ぐに、シェゾの上にいるちびを見ている。
ちびも、真っ直ぐにラグナスを見返して尻尾を振っていた。
「つ、疲れてるんじゃないのか?別に何もいないぞ?」
誤魔化そうと、目をそらすシェゾにラグナスはまだ微笑んでいる。
「…随分、まあ、……可愛い犬だね」
『可愛い犬』、の辺りにアクセントが利いている気がする。
仕事帰りでやや傷を負っているとはいえ、柔和な笑顔を浮かべたままのラグナスにシェゾは思わず口を開いた。
「って自分で言うか。……あ。」
そして、うっかり突っ込んでしまいシェゾは慌てて口を覆う。
ラグナスが、更に笑みを深くする。
「ホラやっぱり。いるんだ」
「……」
シェゾは、その場からすぐに逃げ出したい気持ちになった。
だが、明らかに目の前のラグナスから感じる威圧感にそれを諦め、白状する。
「…何で見るんだよ…」
「言ってなかったっけ?俺、幻覚とか幻惑の術には結構強いんだよ」
それにしたって空間操作を見破るなんて、と頭を掻く。
「…で、それは何?」
「……使い魔だ」
「…いい趣味だね。ヘンタイ」
剣士でも、使い魔を知っていたらしい。
流石と言うべきだろうか、だが、シェゾはヘンタイの言葉にすぐさま反応した。
「俺とて好きでこう作ったわけではないわ。」
「じゃあ無意識かい?…そっちの方が変だよ」
「喧しい。最近とんと姿を見せなかったお前が悪い」
「何でだよ。そんなの俺の勝手じゃないか」
まあ確かにそうだ。
別に自分たちは自分の状況を逐一報告するような間柄な訳でもないし。
呆れたようなラグナスにシェゾは照れ隠しのように言を早めた。
「…とにかく、コイツは別に何か他意があって作ったわけじゃない。勘違いするな」
「そう」
『ぴゃぁ』
会話がひと段落したところで、頭の上のちびが、『もういいのか』と言った風に鳴いた。
「…それじゃあ俺は行くぞ」
そんなちびの鳴き声に急かされて、シェゾはその場から離れようとマントを翻す。
すると、ラグナスがその端を掴んだ。
「まだ何か用か?」
首だけ振り返ると、ラグナスはマントを離して笑った。今度は威圧感を感じない、純粋な人懐っこい笑みだ。
その笑みは、やはりちびが浮かべるものと似ていた。
「俺も行く」
「お前は帰れ。怪我人」
「まぁまぁ」
「大体男二人で並んで散歩なんぞ…」
「たまにはいいだろ?」
「良くない」
「それ、名前は?」
「…?…ちびだ」
「…ちびの事、皆にバラしていい?」
「……勝手についてくれば良いだろう」
ラグナスの言う事とシェゾの言う事、どちらに信憑性があるかと他の人間に問えばほぼ全員がラグナスを指すだろう。
シェゾもその辺の事は自覚済みである。
長い深い溜息を吐いて、ラグナスの隣を歩む。
「なあ、そのちび触らせて?」
「却下」
「……何で」
「何でもだ」
「ケチ」
「煩い。こいつの飼い主は俺だ」
「……あ、そ」
あっさり言い放つと、ラグナスが妙に複雑な顔をしつつも大人しく引っ込んだ。
『ぴゃー』
すると─喧嘩をするな、と、ちびがぺちぺちシェゾの頭を叩く。
大小の同じ顔をそっと見比べなから、自分は少しラグナスを可愛く見すぎだったなと思った。
終わってください。
管理人より>リクの多かった使い魔観察日記2。でございます+
………モウシワケゴザイマセン。
PCUP=2004年10月9日
モドル